アサマde ブログ - 海野宿(うんのじゅく)【前編】
今回は北国街道の「海野宿」へ行ってみましょう。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道で、佐渡で採れた金の輸送や北陸諸大名の参勤交代に使われた道です。
海野宿は、寛永2年(1625年)に北国街道の宿駅として開設されました。その後、寛保2年(1742年)の大洪水によって隣りの田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいをみせたそうです。明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。その結果、江戸時代の旅籠屋造りと、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とが調和した町並みができました。道の中央に用水が流れる美しい町並みは「重要伝統的建造物群保存地区」の指定を受けており、「宿場町の保存状態は日本一」と太鼓判を押す研究者もいるほどだそうです。
「海野宿駐車場」に車を停めて散策スタートです。この駐車場、以前は有料だったような……と思って東御市のホームページを調べたところ、2015年4月1日から無料となったようです。気軽に利用できていいですね。
▲駐車場から道を渡ると千曲川が見えます
駐車場の隣に「海野氏発祥之郷」の碑があります。海野氏は東信濃を代表する名族で、あの真田氏のルーツともいわれています。海野宿がある海野郷は、平安から鎌倉時代まで海野氏の本領でした。真田昌幸が上田城を築城する際、先祖の地である海野郷の民を呼び寄せて城下の門前に「海野町」を築いたそうです。そのため、海野宿がある地は「本海野(もとうんの)」と呼ばれるようになりました。
▲この碑は「海野史研究会」が建てたもの
海野宿の入口にある「白鳥神社」は、海野氏の祖として伝わる貞元親王などが祀られています。古くから海野宿の産土神として地域の人々の信仰を集め、今でも毎年4月の例祭には街道に大のぼりが立ち並ぶなど、昔ながらの風習が受け継がれているそうです。
▲御神木のけやきの木は樹齢700年以上! 「鯨石の噴水」の脇にある巨木も見事です
白鳥神社を出て街道に入ると、見事な街並みが目に飛び込んできます。まるでタイムスリップしたかのようでちょっぴり興奮します。少し行くと「媒地蔵尊」があります。案内板に、由来が書かれていました。加賀のお殿様が参勤交代の道中にお参りしたところ、良縁に恵まれなかったお姫様が結婚できたという言い伝えがあるそうです。
▲「縁結び地蔵」とも呼ばれて親しまれています
少し進んでみましょう。道の両脇にお蕎麦屋さんがあり、お昼時ということもあって賑わっています。そこを抜けると、「海野宿資料館」があります。江戸時代に建てられた旅籠がまるごと使われています。江戸時代の旅籠屋造りと、明治以降の養蚕農家の建物が融合した海野宿ならではの造りで、館内には、海野の歴史に関する資料や、実際に使われていた生活道具が展示されています。入館料200円。近くにある「なつかしの玩具展示館」との共通券もあります。
▲二階は出桁造りになっています
資料館の裏庭には、風呂場・味噌小屋・白壁の土蔵・地下の桑屋・養蚕関係の展示室などがあり、意外と広いことに驚きました。裏庭の建物まで見て回れる資料館は数少ないと思います。個人的にはお風呂の造りが好きでした。
▲裏庭の様子。敷地内に市神さまや姫宮も移されて祀られています
▲養蚕・養種・機織り・製糸と展示室がわかれていて、実際に使われていた道具と共に、それぞれの工程が細かく紹介されています
予想以上に見応えがある資料館でゆっくり見学………というところで、今回の散策はここまで。次回は資料館を出たところから散策をはじめます。
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