アサマde ブログ - 牧歌的な創作人形で甦える遠き日...
句会から帰宅した妻が「こんな素敵な人形頂いたのよ」と私に自慢した。手のひらに乗る程の小さな作品だが、作者の素朴で優しい心が牧歌的な形になっていて、遠かりし日が彷彿と目に浮かんで来た。
平林孝子作
私は一般的生活の中で女性の一番美しい姿の一つは、正座して裁縫箱の前で針仕事をする光景と思っている。幸福を感じる音を選べと言われれば、早朝台所から聞こえてくる俎板の音、暖かい声と言えば「御飯ですよ~」「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」である。人生80歳に手が届く年齢になると、数え切れない思い出が故郷の山河と重なり、郷愁となって五体に蓄積されている。平林孝子さんの人形を作る情熱の美しさが目に浮かんだ。国家が貧しかった戦後の昭和21年小学校に入学した私にとって、貧しかった悲しかったとの記憶は無い。村の全ての大人が父親でもあり、母親であった。危険な遊びをしていると大声で叱ってくれた。私の産まれた臼田町諏訪伊勢地区は職人の町でもあり、建具屋、染物屋、畳屋、経師屋、大工、桶屋、活版所、写真屋、自転車屋、銭湯が軒を連ねていた。ランドセルを背負っての下校時、好奇心旺盛な少年達にとって退屈などなかった。働く姿の逞しさ、物造りの面白さが目に焼き付いて成長した。
五軒組なる頑丈な制度があり皆絆で結ばれていた。冠婚葬祭は裏方役の全てを、味噌仕入れも皆で共同で行っていた。子供が産まれるとお金を出し合い女の子であれば雛人形、男であれば鯉のぼりを贈っていた。誰かがよその結婚式に出席してごちそうを持ち帰ると、五軒組の皆にお裾分けをしていた、そんな心強いコミニティの中で子供たちは守られていた。学校の運動会は布が無い時代もあり、メリケン粉の入っていた印刷の残る粉袋をバラシ、下着や運動シャツに母親たちが作ってくれた。子だくさんの家では布の鯉のぼりをバラシてパンツにしたため、鯉の目、鱗のパンツやシャツが校庭を走っていた。今の様にユニフォームは無かったので、自分の子や孫がどこを走っているかは一目でわかり家族ぐるみ夢中で応援したものである。格差社会はなく皆が同じ状況だったので、貧しさ等感じる事は無く、今にして思えば心豊かで幸福な時代だった。現代、物が溢れている時代、物を手に入れる幸福を感じる機会を失った不幸の時代でもある。
休日は子供も大人も総出で田畑の仕事に精を出した。唯一の機動力は大きな農家が飼育する牛だった。お茶の時間になるとあちこちで車座が出来、賑やかな笑い声が田園に響いていた。平林孝子さんの手造り人形は忘れかけていたそんな時代に私をタイムスリップさせてくれた、小さな目まで細い糸で仕上げた手の込んだ人形だからである。大型ショッピングセンターに足を運べば溢れるばかりのぬいぐるみの販売を目にするが、私にとって頂いた人形に勝るものは無い。句会に参加している人々一人一人に思いを馳せて創った作品には、一つ一つの顔形が異なりその思いが魂となって込められている。私は日頃エッセイを書き、約80余名の方々に配信しているが、どの作品を書く時でも必ず読者の中の一人に向かって書く様心掛けている。人形の創作と相通じる点があり、より強い感動を受けたのかも知れない。私の古い友人に安藤土遊と名乗る粘土人形の作家がいた。彼は様々な人間の仕草をユーモラスに作品にしていたが、若くして他界してしまった。今でも私の家の宝として写真は残っているが、今回平林孝子さんの作品も加わって私達を温めてくれる宝物が一つ増えた。
2018年7月7日
*読者の中でご希望の方には差し上げて欲しいと、多少お預かりしております。
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