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アサマde ブログ - 熱闘甲子園で甦る早慶6連戦の感動!

熱闘甲子園で甦る早慶6連戦の感動!

カテゴリ : 
桐と創る低炭素社会
執筆 : 
asama 2018/8/26 15:58

我国初のチアガールVSトランペット独奏「皆殺しの歌」

100年高校球児の汗と涙と思い出が沁みる甲子園球場

猛暑の中で展開する第100回夏の甲子園大会に釘付けとなっている日々だ。私がまだ早大3年生(昭和35年秋)リーグ戦を締めくくる早慶6連戦の感動が鮮やかに甦って来る。私のエッセイ集「熟年の視角」の中の一作をご紹介したい。

 

昭和35年秋の神宮球場でのドラマだった。

この秋のリーグ戦は、早稲田、慶応が順当に他の4校に勝ち星を重ねていた。慶応の方が勝率において早稲田を圧倒していて、二勝一敗でも慶応の優勝、早稲田は三連勝しなければ優勝できなく、二勝一敗の場合は決定戦の状態で開戦した。慶応のエースは巽。打者では渡海、大橋の大砲がいた。一方早稲田はエース安藤元博、打者徳武、近藤昭人等が居た。

伝統の優勝決定戦とあって神宮球場は超満員だった。早慶戦の場合約二時間前から応援合戦が始まる。

慶応は大きな稲刈り鎌をベニアで作り稲を刈り取る応援は恒例だが、この年からチアガールを登場させた。正に応援のイノベーションだった。

遠目にもスタイルの良い女性が6人だったろうか、白いミニスカートに白いブーツ、ブルーの袖なしブラウスで軽快なブランスバンドに乗りブルペンの屋根で踊りまくった。

敵ながらあっぱれで美しい女性のボディラインに、黒づくめの学生服で埋まる早稲田の応援団もしばし見とれポカーンとしていた。チアガールが我国に登場したのはこの時が初めてだった。

慶応が秘密で進めていた華やかな作戦に早稲田はなすすべもなく静まり返り、反撃の意志を失いかけていた。

その時ネット裏から大きな檄が飛んだ。「早稲田なにしちょる!!」たまりかねた早稲田OBと思われる人からの大きな気合だった。

その直後、角帽を深々と被った早大ブランバンド部員の一人がトランペットを小脇に挟み、駆け足でアルプススタンドの最上段に登った。

注目する大観衆に向かい高らかにトランペットの独奏が始まった。西部劇リオブラボーの主題曲「皆殺しの歌」だった。

超満員の観衆に埋まった神宮の森は水を打ったように静まり返り、身動きもせず聞き惚れた。私の背筋にも寒さが走る、感動が身体を走った。慶応のチアガールも跪いて身動きしなかった。

洪水の様な拍手が起きたのは独奏が終わり、彼が長い階段を下り応援団の席に姿を沈めてからだった。

第一戦早稲田は快勝した。第二戦は慶応が勝ち、三戦目は延長引き分け、四戦目は早稲田、結局決定戦に突入、五戦目も引き分け、そして六戦目大接戦の末早稲田が勝ち優勝した。

慶応は稲葉監督が率いていた。第六戦目、延長11回の裏1点ビファインドの慶応はランナー1,3塁ワンアウト、スクイズでも同店に追いつくチャンスはあった、しかし稲葉監督はこんな試合でスクイズなどの小細工で勝ちたくないと、強攻策に出、ショートゴロのダブルプレーで慶応の秋は終わった。

歴史に残るこの六連戦はその後映画化され、現在も両校に永久保存されている。双方の監督も堂々と戦い、当時在学していた我々に大きな誇りと感動を残してくれた。

私が家庭教師をしていた石井彰君を希望校に入れた時、彼のお父さんから予期せぬボーナスを頂いた。迷うことなくトランペットを買った。もちろん吹くことは出来ないメモリアルトランペットだ。見る度に当時の神宮球場の感動が皆殺しの歌の音色となって鮮明に蘇って来る。

2018年8月18日

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