アサマde ブログ - きままに 宿場 歩き。カテゴリのエントリ
前回に引き続き北国街道上田宿「柳町」を散策します。「カキノキテラス」での休憩を終えて街道沿いに戻ると、はす向かいに大きな絵看板のあるお店があります。手打ちそばについての本を書かれている有名なお蕎麦屋さんだです。店内の池に魚が泳いでいたり民芸品が所狭しと飾られていたりと、面白いお店です。2階の格子は、前回柳町の見どころとして挙げた4つのうちの?「親付き切り子格子」。長い格子(親)と短い格子(小)が何本かごとに交互にはめられています。長短の並びは家によって違うそうです。
▲絵看板も目を引くが、店外に置かれた兵馬俑のレプリカも目立ってました
お蕎麦屋さんの隣に、「保命水」が湧き出ています。上田の飲料用水道として最も古く明治14年に建設され、現在まで存続している最も有名なものです。少し離れた源泉から、自然の落差を利用し木樋や土管を通してこの水槽まで流下させたものだそうです。上水道が完備された後も、長寿の水として地域の人に愛されています。
▲ぜひ飲んでみてください
保命水の脇の小路に入ってみましょう。少し行くと、矢出沢川に小さな橋が架かっています。明治時代には、この川の水流を活用して製糸工場が造られました。柳町は、上田における近代的製糸工場の揺籃の地でもあります。
▲端からの眺め
街道沿いに戻ります。「保名水」のはす向かいに、レトロな景色の定番“丸型ポスト”が置がれています。これは、まちづくりの一環として、古い町並みに合うように平成12年に置き換えられたそうです。ポストの後ろにあるのは、武田信玄の次男の子孫が1930年に創業したという「武田みそ」のお店。名物の大寒特別仕込みそ「寒仕込み」は柳町でしか購入できないので、お土産にもいいかも。
▲隣に工場があります
ポストのある角からまっすぐ先は上田大神宮の参道。北国街道は、ここで西に曲がります。西に行ってみると、可愛らしいギャラリーがありました。
▲古民家を使ったギャラリー。
その先に橋が架かっています。蛭沢川に架かる「緑橋」です。橋から北を見ると、蛭沢川に面して土蔵が並んでおり、南を見ると矢出沢川と合流している様子が見えます。橋のたもとには、上田では数少ないなまこ壁の土蔵があります。前回柳町の見どころとして挙げた4つのうちの?「川辺のなまこ壁」はココです。
▲蛭沢川の景観を含む柳町の景観は「上田のすてき景観賞」に選ばれている
柳町の通りの北端に上田大神宮があります。大神宮建立の折、矢出沢川に神宮橋を架け、かぎ型に曲がった北国街道柳町に北に真っ直ぐな参道が開通しました。その際参道に植えられた松並木の名残りが一本だけ残っています。
▲「名残りの松」は「神宮橋」のたもとにあります
伊勢神宮と同じ神明造りで三分の一の大きさの社殿が明治19年に建立されました。上田大神宮です。柳町からまっすぐのびる参道の先に、広い鎮守の森がありましたが、国道18号線の開通により、柳町と分断されてしまいました。
▲境内には「上田恵比寿神社」もあります
柳町はとてもコンパクト。古い町並みは通りの片側だけという部分も多く、物足りないと思う人もいるかもしれません。公共の駐車場がない(あるのだとしたらわかりにくい)というのも難点です。一方で、買いものや立ち寄れるお店が多いのは魅力です。お店によっては駐車場もあるので、目当てのお店がある場合には駐車場も困りません。コンパクトながら、魅力的なお店がギュッと詰まった通りというのが柳町の印象です。休日は観光バスが来て、観光客で賑わいます。ひとつ心残りなのは、通りにある和菓子屋さんが定休日だったこと……。営業していれば、古い町並みを眺めながら、団子を食べて旅人気分が味わえたことでしょう。
今回は北国街道の上田宿「柳町」へ行ってみましょう。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道で、佐渡で採れた金の輸送や北陸諸大名の参勤交代に使われたほか、善光寺参りのための道ともいわれています。上田は善光寺からちょうど一日の行程の位置にあったので、善光寺参りの旅人の宿場としても発展しました。そんな上田の原町と紺屋町をつなぐ街道筋に、旅籠屋や商家が軒を連ねるようになってできた町が「柳町」です。町筋に柳の木が多かったことから「柳町」と名付けられたそうです。文化元年(1804年)には呉服屋が25件もあって賑わったといいます。上田駅から北に15分ほど歩いた場所にあり、
前回に引き続き北国街道海野宿を散策します。「海野宿資料館」を出て町並みを見てみましょう。防火壁の役割を果たす「卯建(うだつ)」があがった建物が並ぶ様子が美しいです。海野宿の町並みには、特徴的な意匠が見られます。多くの家の二階部分は出格子になっていて、長短2本が交互に組まれています。この美しいデザインは「海野格子」と呼ばれます。また、蚕の飼育温度を保つために室内で火を焚いていたので、煙を出すための「気抜き」がある建物も多くみられます。
▲二階の屋根から伸びたような形が江戸時代の「本うだつ」、一階の屋根の上に張り出して作られているのが「袖うだつ」
歴史的な建物がカフェや雑貨店として活用されています。どのお店も特色豊か。カフェを備えたガラス屋さんでは、海野宿がある東御市特産のクルミを使った「くるみガラス」などが置かれています。
▲看板も可愛いガラス屋さん
1986年、道の日の制定を記念して建設省と「道の日」実行委員会により、日本の特色ある優れた道104本が「日本の道百選」に選定されました。海野宿も歴史的町並みが残る道として選ばれています。長野県内では、ほかに2か所が選ばれています。
▲「日本の道百選」に選ばれるのも頷ける趣き
本陣の建物は残っていません。長屋門などの遺構が残るだけですが、当時の雰囲気を感じることができます。
▲本陣の建物はどれほど立派だったのか、逆に想像をかきたてられます
お土産などが売られているお店の前に、変わった形の石がありました。人や荷物を運ぶ伝馬に与える塩を盛るための器で、「馬の塩舐め石」というそうです。昔は馬が重労働だったため、ここで塩を与えたようです。人も馬も塩分補給は大切なんですね。
▲馬が顔を入れやすいように工夫されたつくりになっています
1992年、「美しい日本の村景観コンテスト 集落部門」を受賞。記念すべき第一回、長野県で唯一の受賞だった。
▲受賞を記念して造られた
2014年4月にオープンした滞在型交流施設「うんのわ」。入口を入ると、奥に伸びる敷地の広さにびっくり。木造2階建て3棟が立ち並んでいます。蔵を改装したという喫茶店、蚕室を改修した蕎麦ダイニング、母屋を改修した海野宿で唯一の宿泊棟もあります
▲ワイン特区に認定されている東御市ならではの「ワインソフトクリーム」を中庭でいただきます
文部省の「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定されている海野宿。保存地区は、「伝統的景観区域」と「歴史的風致区域」に分けられています。「伝統的景観区」は、とりわけ趣が残っています。
▲ここまでが「伝統的景観区域」
地元の野菜や特産品を売るお店や、お土産店、雑貨店、甘味処、カフェ、飲食店があり、観光地としても比較的充実している宿場町です。特産品のクルミを使った「くるみ蕎麦」や「くるみおはぎ」、昔ながらのほうとうなど、地域の味も味わえます。わかりやすい場所に無料駐車場もあるし、かなり詳しく書かれたパンフレットや各店舗を紹介したチラシも用意されています。宿場の端まで約650m、気軽に散策できるちょうどいい距離だと思います。宿場歩き初心者さんにまずおすすめしたいですね。大河ドラマ『真田丸』の影響で、真田氏ゆかりの海野宿も注目を受けるかもしれません。
今回は北国街道の「海野宿」へ行ってみましょう。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道で、佐渡で採れた金の輸送や北陸諸大名の参勤交代に使われた道です。
前回に続き、「茂田井間の宿」です。およそ1.7?ある宿場のちょうど中間あたりに、案内板があります。近くには公衆トイレやベンチもあるので一休みできるのが嬉しいです。今回はここから次の「芦田宿」方面に歩いていきましょう。
▲トイレは、「雪隠」と表記されていました。趣がありますね。
ほどなくすると、右手に重厚な建物が見えます。個人のお宅なので、あまりジロジロ見るのは悪いなぁと思いつつ……素敵で目が離せませんでした。このお宅のはす向かいに細い小路が伸びています。「小平道」という小路のようです。角に「茂田井学校跡」の案内板が出ているので、そちらへ行ってみましょう。
▲迫力に魅了された民家
「小平道」を進むと、右手に「茂田井学校跡」があります。現在は公民館として使われていて、校庭だったところが駐車場になっています。散策の際は、こちらに駐車しましょう。
▲「茂田井学校跡」も映画に出てきそうな可愛らしい佇まい
校庭(駐車場)で周りを見渡すと、1段高くなったところに芝生の公園のような場所が見えます。行ってみると、神社の境内でした。「諏訪神社」の創建年は不明。現在の社殿は文化15年(1818年)茂田井の宮大工さんによって再建されたそうです。境内には、茂田井村の各地に合った道祖神を集めて祀ってあります。
▲境内には遊具が置かれ、地域の人たちの公園としても利用されている
諏訪神社の鳥居を出て、広い道を右に折れます。酒屋さんの角を左に曲がると、突き当りに「無量寺」があります。入口には、仏教の六道にちなんで人々を救済する「六地蔵」さんがいらっしゃいます。古くから地域の信仰を集めていたそうです。また、「無量寺」の鐘楼は文化財に指定されています。毎日夕方に、この鐘の音が茂田井の村に響くそうです。
▲お地蔵さんの上に鐘楼がみえる
▲「無量寺」を背に、寺小路を街道へと戻ります。街道に出ると馬頭観音がある
「馬頭観音」を過ぎると徐々に登り坂になってきます。そして現れる急な登り坂! 「石割坂」です。「こんなに急で旅人は大丈夫だったの?」とちょっと心配になってしまう角度です。解説板によると、「勾配がきつく大きな石があり交通に不便だったが、その石を割り中山道を開通させたので石割坂と呼ばれている」そうです。
▲特に急な部分は滑り止め加工されています。その区間130歩でした。
▲「石割坂」の途中には「上組高札場」があり、登りきると一里塚があります。
少し進むと出口(芦田から来たら入口)です。こちらにも案内板とパンフレットが置かれています。こちらから歩くと全体的に下り坂になるので、この方が散策に向いているかもしれません。
【茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)】「古い町並みが残っていてきれいなところだよ」と薦められた茂田井宿。さっそく行ってみようといろいろ調べたところ、「茂田井宿」というより「茂田井間の宿」というのが正式なようですね。というのも、茂田井は「中山道69次」の中に入っていない「間の宿(あいのしゅく)」。宿場間の距離が長い場合や、峠越えなどの難所がある場合に、宿場と宿場の間に興った休憩用の町なんですって。確かに難所の前では休憩したいですもんね。長野県内では、茂田井のほかに桜沢(塩尻市)や大妻籠(南木曽町)も「間の宿」にあたるようです。「茂田井間の宿」は、望月宿と芦田宿の間にあり、2つの宿場に泊まりきれない時、代わりに宿としての役割を担っていたそうです。
望月宿から芦田宿方面を目指します。普段この辺りに来ても国道142号しか通らないので、中山道がどこを通っているのかよくわかっていなかった私ですが、国道沿いに「望月宿西入口」という親切な名前の信号を発見。左折すると中山道望月宿の西端に出ます。そのまま中山道を進みます。
▲「観音寺入口」バス停の先に「茂田井」への入口を示す看板があります
少し行くと池の先に右側へ下る坂が現れます。ここが「茂田井間の宿」入口です。いわれが書かれた看板が立ち、案内図が入った箱があります。茂田井には街道資料館や案内所がありません。ここでパンフレットを入手しておきましょう。この先は、車のすれ違いが困難な箇所もあります。次回紹介予定の駐車場をご利用ください。
▲「茂田井間の宿」へは右の細道を下ります
入口から3分ほど坂を下りきった右手に、雨乞いの神様が祀られる「神明社」があります。ここを過ぎると道の両脇に昔ながらの建物や水路が現れ、ぐっと趣がでてきます。白壁が続く見事なお屋敷もあります。武重本家酒造です。江戸時代後期の住宅と酒造施設30棟が国の登録有形文化財に指定されており、一度に30点もの物件が登録されるのは全国的にも少ないそうです。こちらの酒蔵では、文化財の建物の中で造っているんですね。映画『たそがれ清兵衛』のオープンセットが組まれたそうです。
▲武重本家酒造の向かいには、
この地をたびたび訪れていたという若山牧水の歌碑があります
▲ここから少し登り坂になります。白壁が続く様子と水路と坂がとても美しいです。
天気も良かったので、画板を持ってこの風景を描いている人も居ました
ゆるやかな坂を登りきると、右手に大澤酒造があります。こちらもまた素晴らしい建物です。元禄2年創業で300年以上続く老舗の蔵元。創業時の酒が白磁古伊万里の徳利に入れられて保存されており、日本最古の酒とされているそうです。敷地内には酒造用の建物を利用した「しなの山林美術館」と「民俗資料館」があります。歴史ある名家ならではの資料がみられます。
▲大澤酒造の門内
大澤家の塀のはずれに「茂田井村下組高札場跡」の表示があります。大澤家は元文2年(1737年)から明治4年(1872年)まで茂田井村の名主を務めた家柄だったそうです。
▲高札場跡の立札。歩いてみたい小路がたくさんあります
さらに少し進むと、現在地を示す案内板があります。どうやらこの辺りで半分くらいのようです.........というところで、今回の散策はここまで。次回はここから散策をはじめます。
前回に引き続き皆さんと散策するのは軽井沢町の追分宿です。
▲油屋入口はこの看板が目印
「堀辰雄文学記念館」のほど近く、ギャラリーの看板に惹かれて小路に入ると脇本陣「油屋」の建物が残されていました。昭和13年に現在の場所に移築されてからは旅館として使われ、多くの文士・知識人たちが好んで執筆に利用し、多くの作品の舞台となったそうです。2012年からは、ギャラリーと素泊まりの宿として活用されているようです。1階は古美術・絵画・クラフト・古本・レコードなど各スペースに仕切られ、回廊をイメージした入り組んだ造りになっています。建物の中を探検して、自分の好きな作品を探すといった楽しみがあります。猫に関する作品のギャラリーを発見し、猫好きな自分はワクワク! つい財布のひもが緩んでしまいました。
国道18号線と合流して少し進むと「分去れの碑」があります。江戸から来ると、右は北国街道、左は京都・吉野へむかう分岐点となりました。旅の途中で親しくなった旅人同士が、別の行く先を前に別れを惜しんだというのがその名の由来だそうです。
▲石碑には「さらしなは右 みよし野ハ左にて 月と花とを 追分の宿」と刻まれている
「油屋」の中には古本屋さんやブックカフェがあり、お隣にもおしゃれな古本屋さんがありました。また、本を自由に借りたり、寄贈・交換ができる「夢のはこ」なるものも宿場内に2か所発見! 追分宿は文学の香り漂う宿場町なのでした。
古い町並みが連なっているというわけではありませんが、ところどころに残された古い建物がカフェや雑貨店などに活用されていて面白いです。宿場の雰囲気に合った、パン屋さんお蕎麦屋さんなどもあります。
▲「夢のはこ」 ※別日に撮影
距離にすれば短い宿場ですが、飲食店にも立ち寄らずに、気が付けば2時間半も散策していました。資料館・ギャラリー・古書店といった、インドアでゆっくりできる施設が充実しているので、晴れた日はもちろん雨の日でものんびり過ごせる宿場町です。
▲おまけ
「分去れの碑」のほど近くにある「シャーロックホームズ像」。写真のどこに写っているかわかりますか?
初めての街道歩き―――。どこを訪れようか迷った結果、第1回目として選んだのは軽井沢町の追分宿。歴史は詳しくない自分ですが、追分宿が中山道と北国街道の分岐点にあったということは知っていたので、旅のスタートとしてふさわしい場所だと思ったのです。草津温泉に通じる草津街道にも近いため、官道東山道のころから交通の要所とされてきた追分宿。宿場町として栄えた往時は、旅籠屋71軒、茶屋18軒、商店28軒が立ち並んでいたそうです。
▲信濃追分駅 ※写真は別日に撮影
軽井沢から国道18号線を上田方面に進むと、国道の両側に「追分一里塚」があります。その先の脇道を右側に入ると追分宿です。電車なら、しなの鉄道信濃追分駅から徒歩20分。車の方が便利ですが、レトロでこぢんまりとした信濃追分の駅舎も個人的にはお気に入り。ぜひ見ていただきたいポイントです。
追分宿に入ってまず立ち寄ったのは「軽井沢町追分宿郷土館」。「追分節」が流れる館内では、縄文時代から現代までの追分地区ゆかりの資料が並び、その歴史をたどることができます。初めて訪れる場合は、栄えていたころの宿場の様子などをここで予習してから散策することをおすすめします。※入場料大人400円
「軽井沢町追分宿郷土館」の隣りには「浅間神社」があります。天気はあいにくの雨模様。ここで本日の散策が素敵なものとなるよう祈願しました。雨露をたたえたモミジの葉がいっそう緑を深くして、なんともいえない美しさがありました。
▲「追分節発祥の地碑」の奥に見えるのが「浅間神社」
「浅間神社」を出ると少し町並みが途切れます。小さな橋を渡ってほどなくすると左手に見えてくるのが「堀辰雄文学記念館」です。ここは作家・堀辰雄が居を構えていた場所で、本陣跡地でもあります。堀辰雄は、古い宿場の面影を残す静かな追分に惹かれて数多くの作品を執筆し、この地でその生涯を閉じたそうです。入場券は「軽井沢町追分宿郷土館」と共通になっているので、こちらも訪れてみてください。
▲堀辰雄文学記念館入口の門は、本陣の裏門にあたる
「堀辰雄文学記念館」を出て少し行くと、右手にギャラリーの看板が。ちょっと立ち寄ってみよう………というところで、今回の散策はここまで。次回はこのギャラリーから散策をはじめます。
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