アサマde ブログ - 201606のエントリ
ひと手間かけた心のこもったお料理は太陽のように分け隔てなく体と心を満たしてくれます。感謝は「するもの」ではなく「あふれ出てくるもの」です。「ごちそうさま」の後に外の世界へと放たれていくあふれ出る感謝を、ひとりひとりが出来る日常レベルの祈りとして、平和への祈りとして意識していきましょう。
6月の初め、向かった先は小諸市にある正眼院。
先月咲いていた椿の花は色褪せていましたが、春の清々しい日差しの中に微笑みそびえたつお釈迦様はいつの時も変わらない穏やかさをで出迎えて下さいました。
正眼院で月に一度開かれる「おそうじの会」では、宗教の枠に関係なく老若男女ざまざまな方が集まりお寺の作務と座禅を体験します。
自分の心を素直に見つめる機会として開かれているおそうじの会は、私が実践している玄米菜食がどのような形であれ、活かされる場であると感じています。
本日の作務は草取り。
春の爽やかな日差しと言いましても外での作務は汗が出るほどですから、どうしても生野菜が欲しくなります。
この時期の生野菜、決していけないわけではありませんがプレスサラダにするのがオススメです。
ホームセンターで見かける簡易漬物器といった感じのもので、塩をまぶした野菜にネジ式の圧(重石)をかけて余分な水分を出します。即席の漬物といったところですが、水分による体の冷えを防ぎます。
穀物や野菜を、冬に命をつなぐ糧として保存する調理法は塩や重石を使う漬物の他にも干したり発酵させたり、火を使ったりと、変化を常とするこの世界において祖先たちから伝わった保存法です。保存料や着色料といった添加物は流通のためのものであって、祖先たちが伝えた保存法は命をつなぐための知恵です。
発酵も進めば腐るように時間と共に変化していくものを食い止めることはできませんからさらなる知恵で再利用するという、そこには生き延びていくたくましさが感じられます。
この会では時折、参加者から子どもの頃に食べたおやつなどの話を聞くことがあるのですが、郷土に残る食文化には興味深いものがまだまだあるのです。
今回、お寺の奥さまが作って下さったコゴミとワラビの味噌漬け。
ここで一句。
「山菜と一期一会の有り難さ」
菜食において、旬の山菜が並ぶ至福は例えようがありません。
ご馳走とは本来「走り回ること」
奔走して採って下さった山菜はまさしくご馳走。
どなたさまかはわかりませんが、山の幸をありがとうございます。
いただくこの日まで保存して下さった心のこもった味噌漬けが、まるで太陽のように参加者全員を分け隔てなく満たしていきます。
あふれ出る感謝に手を合わせ「いただきます」と唱え「ごちそうさま」で終わっていたはずが、心のこもった食事は体の中を巡りふたたび外の世界へと放たれていく自然な循環が起こるのです。
私たち人間の役割とは、形あるものが朽ちていく肉体だけの存在でないのは言わずもがな、このさき意識していくことは「無限の世界へ放つ光の意識として存在してゆくこと」ではないかと思うのです。
ひとりひとりが出来る日常レベルの祈りとして、平和への祈りとして意識して放っていきましょう。
おそうじの会「春から夏の食事」
- 玄米ご飯・ごま塩
- 味噌汁(新玉ねぎ、春キャベツ、わかめ、車麩)薬味としてコゴミと三つ葉
- こうや豆腐の野菜葛あん
- 切り干し大根の煮物(糸蒟蒻、干し椎茸、えのき茸)
- 蒟蒻と山菜の味噌漬け
- 菜の花とひじきの白和え、山うど添え
- プレスサラダ(ラディッシュ、春キャベツ、カブ、水菜)、沢庵
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