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我国初のチアガールVSトランペット独奏「皆殺しの歌」
100年高校球児の汗と涙と思い出が沁みる甲子園球場
猛暑の中で展開する第100回夏の甲子園大会に釘付けとなっている日々だ。私がまだ早大3年生(昭和35年秋)リーグ戦を締めくくる早慶6連戦の感動が鮮やかに甦って来る。私のエッセイ集「熟年の視角」の中の一作をご紹介したい。
昭和35年秋の神宮球場でのドラマだった。
この秋のリーグ戦は、早稲田、慶応が順当に他の4校に勝ち星を重ねていた。慶応の方が勝率において早稲田を圧倒していて、二勝一敗でも慶応の優勝、早稲田は三連勝しなければ優勝できなく、二勝一敗の場合は決定戦の状態で開戦した。慶応のエースは巽。打者では渡海、大橋の大砲がいた。一方早稲田はエース安藤元博、打者徳武、近藤昭人等が居た。
伝統の優勝決定戦とあって神宮球場は超満員だった。早慶戦の場合約二時間前から応援合戦が始まる。
慶応は大きな稲刈り鎌をベニアで作り稲を刈り取る応援は恒例だが、この年からチアガールを登場させた。正に応援のイノベーションだった。
遠目にもスタイルの良い女性が6人だったろうか、白いミニスカートに白いブーツ、ブルーの袖なしブラウスで軽快なブランスバンドに乗りブルペンの屋根で踊りまくった。
敵ながらあっぱれで美しい女性のボディラインに、黒づくめの学生服で埋まる早稲田の応援団もしばし見とれポカーンとしていた。チアガールが我国に登場したのはこの時が初めてだった。
慶応が秘密で進めていた華やかな作戦に早稲田はなすすべもなく静まり返り、反撃の意志を失いかけていた。
その時ネット裏から大きな檄が飛んだ。「早稲田なにしちょる!!」たまりかねた早稲田OBと思われる人からの大きな気合だった。
その直後、角帽を深々と被った早大ブランバンド部員の一人がトランペットを小脇に挟み、駆け足でアルプススタンドの最上段に登った。
注目する大観衆に向かい高らかにトランペットの独奏が始まった。西部劇リオブラボーの主題曲「皆殺しの歌」だった。
超満員の観衆に埋まった神宮の森は水を打ったように静まり返り、身動きもせず聞き惚れた。私の背筋にも寒さが走る、感動が身体を走った。慶応のチアガールも跪いて身動きしなかった。
洪水の様な拍手が起きたのは独奏が終わり、彼が長い階段を下り応援団の席に姿を沈めてからだった。
第一戦早稲田は快勝した。第二戦は慶応が勝ち、三戦目は延長引き分け、四戦目は早稲田、結局決定戦に突入、五戦目も引き分け、そして六戦目大接戦の末早稲田が勝ち優勝した。
慶応は稲葉監督が率いていた。第六戦目、延長11回の裏1点ビファインドの慶応はランナー1,3塁ワンアウト、スクイズでも同店に追いつくチャンスはあった、しかし稲葉監督はこんな試合でスクイズなどの小細工で勝ちたくないと、強攻策に出、ショートゴロのダブルプレーで慶応の秋は終わった。
歴史に残るこの六連戦はその後映画化され、現在も両校に永久保存されている。双方の監督も堂々と戦い、当時在学していた我々に大きな誇りと感動を残してくれた。
私が家庭教師をしていた石井彰君を希望校に入れた時、彼のお父さんから予期せぬボーナスを頂いた。迷うことなくトランペットを買った。もちろん吹くことは出来ないメモリアルトランペットだ。見る度に当時の神宮球場の感動が皆殺しの歌の音色となって鮮明に蘇って来る。
2018年8月18日
壊れ行く地球号、温暖化を阻止する有効策は桐!
「直ちに命を守る行動を取って下さい…」アナウンサー、気象庁職員の絶叫が連日の如く流れている。
かねてより危惧されていた温暖化による気象が劇的に変化に向かつてスピードを上げている。
私はかって東京オリンピックが決定された直後から「異常気象でまともな開催は出来ないだろう、又北半球における最後のオリンピックになるだろう」と警鐘
を鳴らし、開催都市には桐で木蔭を…」と時のオリンピック担当大臣に幾度も手紙を届けた、もちろん無回答だつた。
産業革命以後、失つた50%の世界の森林のスピーディな復活と、化石資源の使用量を産業改革以前に戻す削減が無ければ2030年には氷河期に突入する、と報道されていたNHKの特別番組に刺激を受けてから書き続けて来たエッセイは、建築家を中心に政、官、学、産80余名の方々に発信し続けて来た。(NHKは2030年と幸艮じていないが、IPCCの日本代表はTVの前で語気を強くしている。)
なぜ桐か!
●写真が示す様に杉の6倍のスピードで成長する桐はC02吸収マシンである。
●断熱性は同じ厚さで建材に用いた場合、ナラ、ヒノキ、ケヤキの2倍の効果を示す。化石資源を原料にした断熱材をlgとして用いる必要はない
●調湿効果が高く、床、壁、天丼に用いた場合、外気の湿度変化に比べ、室内では横一線の数値を示す。更にセラミックより多くの遠赤外線を放出する。
●耐火性においてはI,S,0の基準に基づいた防火戸60分耐火実験にクリアする程高い耐火性能がある。(主材として用いた場合)
●耐腐性、耐蟻性が強い我が国には築後400年以上の古建築が15000棟残つているが、桐を土台に用いた家は土台を交換した形跡が無い(林野庁OB八重樫良暉著桐と人生より出典)又桐は白蟻が近寄らない。
●一般の本材は芯部、辺部があるが桐には無い。そのため割れる事が少なく、集成した場合、総合的に強度はナラ、ケヤキ、杉等に比較して優れている。
●耐水性桐は水を吸わなく抗菌効果も高い事から床、土台に用いた場合、大雨による浸水後においても徽の発生は無い。
●lヵ月間の平均気温が-4℃以上であれば世界のどこでも育つため、70億人総出で参カロ出来る。
以上の性能から桐を適切に用いる事により、爽快で長期の性能を持つビルや住宅を建設する事が出来る。
戦後復興住宅実物展(内務省主催昭和21年)で京都帝国大学棚橋研究室の作品総桐住宅が一等賞を取つている。木材輸出大国アメリカの外圧のため住宅文化
として継承されなかった。
地上から10km?15kmの間で覆つている温室効果ガスを取り除かない限り温暖化は阻止できない。幸い温室効果ガスの主成分C02は空気より重いため、C02の補給をしない限り地上に降りて来る。それを超早生樹桐に吸収させる方法で解消に向かう事が可能である。
紀元前300年前に出版され現在に残る中国の百科事典「爾雅」には90種類の木材が紹介されているが、桐だけは特別な樹種として記述されている。庶民が何の不安も無く生活できる国には必ず桐の森が繁っていた「神の鳥鳳凰は桐の森にしか棲まず、優れた統治者が現れると群れをなして桐の森に集まり、甘酒を酌み交わして讃えた。」との記述がある。永い地球の歴史では幾度も氷河期、間氷期が繰り返されたであろうが、桐が安定した気象に果たした役害」は大きく、中国の古代百科事典にメッセージとして残されたのだろう。
やがて桐は我国東北地域(会津)に渡り天皇家の家紋になっている(もう一つは菊)内閣総理大臣にだけ桐の御紋章の使用が認められている。
世界の建築家、政治家、IPCCの諸兄の視線の先に桐が目に入つて欲しいものである。
かつて国連は桐とそっくりなファルカタを砂漠化の進む国々に植えさせた歴史がある。但しファルカタは建材として使い物にならなかつた事から、大失敗に終
わつている。今新たに私のレポートが外務省地球気候変動課に渡つているが、国連への提案として活用される事を期待している。
2018年7月21日
「桐で創る低炭素社会」著者
黒岩陽一郎
句会から帰宅した妻が「こんな素敵な人形頂いたのよ」と私に自慢した。手のひらに乗る程の小さな作品だが、作者の素朴で優しい心が牧歌的な形になっていて、遠かりし日が彷彿と目に浮かんで来た。
平林孝子作
私は一般的生活の中で女性の一番美しい姿の一つは、正座して裁縫箱の前で針仕事をする光景と思っている。幸福を感じる音を選べと言われれば、早朝台所から聞こえてくる俎板の音、暖かい声と言えば「御飯ですよ~」「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」である。人生80歳に手が届く年齢になると、数え切れない思い出が故郷の山河と重なり、郷愁となって五体に蓄積されている。平林孝子さんの人形を作る情熱の美しさが目に浮かんだ。国家が貧しかった戦後の昭和21年小学校に入学した私にとって、貧しかった悲しかったとの記憶は無い。村の全ての大人が父親でもあり、母親であった。危険な遊びをしていると大声で叱ってくれた。私の産まれた臼田町諏訪伊勢地区は職人の町でもあり、建具屋、染物屋、畳屋、経師屋、大工、桶屋、活版所、写真屋、自転車屋、銭湯が軒を連ねていた。ランドセルを背負っての下校時、好奇心旺盛な少年達にとって退屈などなかった。働く姿の逞しさ、物造りの面白さが目に焼き付いて成長した。
五軒組なる頑丈な制度があり皆絆で結ばれていた。冠婚葬祭は裏方役の全てを、味噌仕入れも皆で共同で行っていた。子供が産まれるとお金を出し合い女の子であれば雛人形、男であれば鯉のぼりを贈っていた。誰かがよその結婚式に出席してごちそうを持ち帰ると、五軒組の皆にお裾分けをしていた、そんな心強いコミニティの中で子供たちは守られていた。学校の運動会は布が無い時代もあり、メリケン粉の入っていた印刷の残る粉袋をバラシ、下着や運動シャツに母親たちが作ってくれた。子だくさんの家では布の鯉のぼりをバラシてパンツにしたため、鯉の目、鱗のパンツやシャツが校庭を走っていた。今の様にユニフォームは無かったので、自分の子や孫がどこを走っているかは一目でわかり家族ぐるみ夢中で応援したものである。格差社会はなく皆が同じ状況だったので、貧しさ等感じる事は無く、今にして思えば心豊かで幸福な時代だった。現代、物が溢れている時代、物を手に入れる幸福を感じる機会を失った不幸の時代でもある。
休日は子供も大人も総出で田畑の仕事に精を出した。唯一の機動力は大きな農家が飼育する牛だった。お茶の時間になるとあちこちで車座が出来、賑やかな笑い声が田園に響いていた。平林孝子さんの手造り人形は忘れかけていたそんな時代に私をタイムスリップさせてくれた、小さな目まで細い糸で仕上げた手の込んだ人形だからである。大型ショッピングセンターに足を運べば溢れるばかりのぬいぐるみの販売を目にするが、私にとって頂いた人形に勝るものは無い。句会に参加している人々一人一人に思いを馳せて創った作品には、一つ一つの顔形が異なりその思いが魂となって込められている。私は日頃エッセイを書き、約80余名の方々に配信しているが、どの作品を書く時でも必ず読者の中の一人に向かって書く様心掛けている。人形の創作と相通じる点があり、より強い感動を受けたのかも知れない。私の古い友人に安藤土遊と名乗る粘土人形の作家がいた。彼は様々な人間の仕草をユーモラスに作品にしていたが、若くして他界してしまった。今でも私の家の宝として写真は残っているが、今回平林孝子さんの作品も加わって私達を温めてくれる宝物が一つ増えた。
2018年7月7日
*読者の中でご希望の方には差し上げて欲しいと、多少お預かりしております。
第二回パリ万博(1867年)を契機に北斎の版画という手法を用いた作品は、美術の量産として世界の美術産業に大きな進化を与えている、更に富嶽三十六景に代表される繊細な色彩と遠近法はセザンヌ、モネ、ゴッホ等のその後の作品に反映されている。一つの物体を多方面から描くピカソも北斎から色彩を学んだのでは、との論評がつい最近の日経新聞で取り上げられている。世界の北斎は私が語るまでも無い巨星だが、ここでは彼を育てた小布施町に触れてみたい。
江戸文化を尊び
人口を増やさず減らさず「田園都市」で潤う文化の里
50年ぶりに北信濃の小布施町を訪ねた感動したのは半世紀を経た今でも小江戸の町並みは変わらず、私が見る限り鉄とコンクリートのビルは建っていない。住宅も甘いコマーシャルソングに誘われ、建てた大量生産の軽々しい住宅は無く、本格的木造建築と京壁が長い庇(ひさし)で建物を守っている。
小路を行き交う観光客は古建築を背景にロマンある旅人の絵になっていた。約200年の時を経て今だに、江戸の原風景をそのまま残して郷愁が見える町並みである。
50年前訪れた時、小布施の未来への方針は人口を増やさない、減らさないとのモットーを聞いたが、今も当時と変わらない人口1万人前後で推移している。現在の日本の行政の多くは人口を増やす事が優れた行政としながら町中は空家だらけ、農地は歯止めのかからない住宅建築で失われ、耕作放棄地は全国で滋賀県とほば同じ50万haを越し、コミニティを失った寒々とした風景になっている。この町には小布施堂、竹風堂、桜井甘精堂との商号で日本の栗菓子を寡占する三大メーカーがある。農家は栗を生産すれば買主は決まっているから安定した村の産業が成り立つ、その他リンゴ、良質な果実を生産しバランスある産業となり、豊かで安定した暮らしが営まれている。更に年間100万人の観光客を国内外から集めている(人口1人当たり100人の観光客)いわば絵に描いた如く潤いのある田園都市を形成している。この町に構造的な貧困家庭は存在しない。葛飾北斎はこの地を心の棲家とし、83~88歳までの晩年、集大成の時間をこの町を拠点として活動している。
北斎83歳の時、江戸から230キロの道を歩き小布施の豪農商高井鴻山を訪れ、鴻山のパトロンの申し入れを快く受け入れ、生活の保障を得て、江戸との交流を活発にしている。高井鴻山自身文人画家でもあったが、北斎とは親子ほど若く、米を中心とした豪商で藩の財政を支えていた。そのため江戸幕府にも顔が効いていた事から、北斎が小布施に移住する以前から後ろ盾となり、美人画ばかりを描いていた北斎に十分な画材を与え、富嶽三十六景を始め次々と大作を発表させている。富嶽三十六景の中の代表作「神奈川沖浪裏」の仕上げも天保の改革などで治安が
不安定になった江戸を離れ、人情の厚い平和な町小布施で仕上げたのではと私は推測している。この時代人生50年が通常だったが、北斎は明治維新の19年前「富士越龍」を描き90歳で没している。「年を取る事は老化する事ではなく、進化する事である」との名言があるが、北斎は正にそのお手本として小布施からエネルギーを吸収し、長寿を重ねた偉人であった。小布施の近くで産まれた小林一茶の句「やせ蛙負けるな一茶ここにあり」と詠んだ池のある事でも知られている、小布施の岩松院に残された天井画は、遥か200年の時を経て、絵の具が今にも滴るが如くの迫力に満ちている。北信五岳(飯綱、戸隠、斑尾、黒姫、妙高山)が見下ろし、悠然と流れ万葉集でも詠われている信濃川と、広大な空間に吹く風と重厚な寺院、家並、蔵、路地、風習を頑なに大切に守り、いわば博物館の如くの町で人々は生活を続けている。花を愛し、造園を好み、オープンガーデンをしている家は、130軒に上る。転居すること93回、改号30回と波乱万丈だった北斎が選んだ心の町小布施は、資本主義経済(マネー経済)が行き詰まりを見せる中、地産地消の素朴で頑丈な生産経済の強さを永く実践している揺るぎの無いまほろばの国である。
先のエッセイでは、下諏訪の「万治の石仏」と岡本太郎のパワーを書いたが、葛飾北斎も又北信濃の大自然の風と、小布施の人々の人情を絵筆に集中させ、大胆かつ繊細な色で創形化し、世界の美術界をリードした巨匠であろう。
2018年6月20日
ネット時代諏訪大社、下社(春の宮)の境内の近くに正座する万治の石仏を訪れる人は多い。この石仏には神秘的な伝説がある、1660年11月1日、諏訪下社に石の大鳥居を建設する時、材料として選ばれた石である。この石にノミを入れた所、傷から血か?流れ出た。石工達は恐れをなして仕事を止めた。その夜石工の夢枕に上原(茅野市)に良い材料があると告げられ、良材と出会い、大鳥居は見事完成した・・・。石工達はこの石に阿弥陀如来を祀って頭部を付け後世への記念としたとの伝えである。全ての物事を万事治めるとの意味から、万治(ばんじ)の石仏と名付けられている。巨大な石に小さな頭部を載せたユーモラスな像だが、なぜか顔形は中東エジプトの人々を彷彿とさせる顔であり、古代ピラミット、スフィンクスを建造した遥かなるロマンの時代に私を誘ってくれる。
人類が登場し、まだ宗教を持たなかった時代、原始の人々は巨大な岩、石を聖なるものとして崇めていた。又この時代天文学は進んて?いて、古代マヤ文明に残る石の造形は宇宙と人類を精密に結んでいた。今なお深い森林に眠る聖なる石の建造物は多く、その数は何千とも推測され当時宇宙との交信が広範囲に行われていたと推測される。
私は万治の石仏が好きで、幾度となく訪れ、手で触れる度に何か大きなパワーが体内に流れる気分を味わっている宇宙からの磁波がエネルギーとしてこの石像に蓄えられているのではと思うようになった。
芸術は爆発だと語り、人類の作品を超越した強烈な造形を残した、岡本太郎もこの石像を深く愛し頻繁に足を運んだと報じられていて、岡本太郎直筆の石碑がこの近くに建立されている。推測だが宇宙からのメッセーシ?がこの石物の中に蓄えられていて、非凡な才能を持つ岡本太郎に伝わり、把握できない宇宙が造形化されていたのかもしれない。
近くを流れる、清流で水遊びをする子供達が冷えた体をこの石仏で温めていたと、近くで蕎麦屋を営む女将だ私に教えてくれた。親鳥が卵を温め、雛を翼の下で成長させる如くの優しさを持った母なる石仏でもある。
ビッグバンにより誕生した地球は45億年の歴史を持つ惑星だが、宇宙から降り注ぐニュートリノの様な極小の粒子は常に地球に降り注いで私達の体をも通過している。万治の石仏もビッグバンにより産まれ、そんな微粒子を体内に吸収し蓄えて、人々を引き寄せ、創作意欲旺盛な芸術家を介して、爆発的に宇宙を創形化して居るとの推理が沸いて来る。石工がノミを当てた時流れ出たと伝えられている血は宇宙という壮大な生命体の雫だったのかも知れない。
付記この石像を訪れる人々のために時計回りに三周し、万事治まります様にと唱えると、物事か?丸く治まると石工達の考えたアイディアが記述されている。森友、加計学園問題で国民の支持率が急落している安倍総理だが、麻生さん共々この像を訪れ三周されたらいかがだろうか、岡本太郎の芸術とは程遠い、鋭い美しさも倫理もない政治家のダーティないざこざの貧弱な話のため本題から外し付記とする。
2018年5月2日
近年様々なウィルスによる伝染病がアフリカ大陸から発生し人類に恐怖を与え ている。原因は地球温暖化による蚊の大量発生と、交通機関の発達によるグロー バルな保菌者(人類と貨物)の大量移動にある。 更に究明すれば森林喪失によりウィルスの棲みかが失われているためとも言わ れている。地球上に生息している生命体の種類は、微生物までカウントすると 70 万~80 万 種類と伝えられているが、そのほとんどが森林と海に生息している。如何なる生 命体もそれぞれの役目を持っており、無駄な生命は無い。人類の生命を一瞬にし て奪うシアン(トリカブト)の様な猛毒を持った植物も多いが、その毒を媒介し ているウィルスも生息し、生命の多様性をバランスさせている。蚊も例外ではな く、森林の中の多くの生命を存続させる重要な種の運搬の役目を果たしている。 人類の一方的な都合で森林を伐採する事により、森林の秩序が崩れ神秘的な聖 域が壊され、森林の持つ治癒力が失われる.そのためエコロジーが消滅して行く 森林喪失のメカニズムを我国のブナ林、熱帯雨林の巨木を例にして説明したい。
我国の森林の母は橅(ブナ)林
我国の森林面積は 2500 万ha、国土の70%である。但しその40%~60%が戦後植林された米松、米杉で占められているため、屋久島の様な自然森林による聖域となっていない。植林された杉林は昼も暗く多くの生命を育んでいない。 保水力も無く、せせらぎも作らず地下水を枯渇させ、微生物による活動もさせな い、どんぐりも落とさないから野生動物も近寄らない、いわば森林の砂漠とも言 える孤独な樹群に過ぎない。 数年前茨城県の鬼怒川が氾濫した折り、「ブナの樹の保水力」なるエッセイをお 届けした。ブナの樹は成木になると 1 本でドラム缶1.5 本分(300l)の水を体 内に蓄えている。渇水期になると地下水に水を供給し、せせらぎの水を絶えさせ る事なく、多くの生物に水を与え、秋にはたくさんのドングリを落とし、山に棲 む動物、昆虫、微生物に至るまで生命体を育んでいる。正に森の母なる存在である。 日本の先人達はこんなブナの恩恵を知らず、生育が遅く見た目に悪いから建材 にもならないと決めつけ、木では無いとの屈辱の字「橅」と名付け、戦中ことごとく切り倒し燃料にして消滅させてしまった。山の植物が減り、渇水期せせらぎに水が流れなくなり、猪、猿、熊、鹿、ハクビ シン、イタチ等が町や村に出没し人類への反逆が各地で始まっている。ブナ林を 再生させる事で、治水ダムを造る必要も無く、森林を多くの生命体で形成するエコロジカルな聖域に戻す事が出来る。
熱帯雨林の母は巨木
巨木には幾多の種類がある。アフリカ、マレーシア、ボルネオには我国のブナと 同じ巨木が多くの生命体を守っている。胸高直径 1m を程になると次々と倒され、主にヨーロッパ、日本に輸出されてい る。森林王国日本でありながら自国の木材に手を付けず、巨木の 20%を輸入し て森林を蝕んでいる。再び成木になるのには 100 年の歳月を要する巨木が、人 類の身勝手な商業主義により次々と倒され、大型ブルトーザーで森林を倒し、道 を造り、港に運ばれている。森はズタズタに分断されている。林業者は貧しく再 び巨木になるために長い年月を必要とするため、焼き畑農業を始める、遊牧をす る、木の芽迄食べ尽した後にスコールが襲い表土を流し、砂漠化を促進している。 このスピードは 1 分間に東京ドーム 3 個分とも計測され、陸地の40%が砂漠 化に向かっている。
ウィルスの逆襲
今人類を襲っているウィルスによるデング熱、エボラ出血熱、ジカ熱、鳥インフルエンザなどのウィルスは森林の中での居場所を失って、山に入る人々の身に 木材に寄生して、村や町、海外へ移動し世界中を汚染する。これがウィルスの人 類への反逆である。我国においては戦後植樹した米松、米杉は伐採し住宅建設、又バイオマス発電に 用いて一掃し、跡地にはブナを中心に広葉樹を植え育て自然林に戻す事で、エコ ロジーな森林を取り戻す事が出来る。野生動物を森に戻し天然のダムとして治 水にも役立つ。
失った森林は桐(Paurownia)で修復
桐は 6 年~10 年の速さで巨木になる。私は CO2 吸収マシンと呼んでいる。建材にした場合、天然の断熱材、耐火材として高価で販売する事が出来、林業従事 者を豊かにする。熱帯雨林の砂漠化を止めるには最も適切な方法と思われてい る。 森林は人類にとってもウィルスにとっても偉大な母であり。ウィルスの逆襲を、武器を持って止める事は不可能だ。ウィルスの人類への反逆を人類への警告と受け取るとすれば、温暖化による世 界の気象の劇的変化(たとえば氷河期突入)であろう。アメリカSF映画「ディ アフタートゥモロー」に映かれている如く突如として、都市を雪と氷で覆う変化 であり、我国NHKも15年程以前の特別番組「海」で 4 回に渡り氷河期突入の 恐怖を報道している。時を経て再放送を要求した私に無言を続けているのは、報道通りの異常気象が 生じているため、現時点での再報送は社会を深刻にするため慎んでいると私は 推測している。表記した通り地球は表面積僅か5 億km²の小さな惑星である。 陸地は30%、その40%が砂漠化に向かっている。ウィルスにとっても、人類 始め多くの生命体にとってもサバイバル(生き残り)ゲームに入っている。愚かな人類の責任は余りにも大きい。
原発で汚れる大地、広がる格差、柵に生きる理不尽
標高 1300m 野辺山高原からの八ヶ岳連峰 P20 号油
今年の正月、暮れに描き始めた絵画を完成させた。これぞ自画自賛の最たるものとご笑覧頂きたい。標高 1300mの野辺山高原から見上げる八ヶ岳連峰はいかにも雄大で迫力に満ちパワーを与えてくれる。
地球が誕生して40億年、様々な隆起と陸地の移動、極地ジャンプで海と陸地の逆転、氷河期と間氷期を繰り返しながら雄大で神聖な姿を私の前に見せている。地球は表面積が5億平方キロメートルの小さな惑星である。陸地は30%その40%が地球温暖化で砂漠になろうとしている、にもかかわらず人類は温暖化で溶けた永久凍土の跡から化石資源を掘りだそう、海温上昇で白化した海の中からもガス燃料を掘りだそうと死の商人達は飢えた野獣の如く目を光らせている。重症の小さな惑星に対する思いやりは些かもない。
僅か8人の世界の富豪の資産が、世界70億人の貧困層15%~20%の総資産と同じと極端な格差社会にもなり、資本主義の限界を露呈している。巨大な山の前に立つと人類の果てしない欲望の虚しさが見えて来る。
幸福ってなんであるかも教えてくれる。美しい自然と向き合い適度な文化生活が出来、老後に不安が無ければ最高の幸福ではないだろうか。そう考えると原発も武器も不要になる。柵の中で倫理を忘れ大きな利益を得ようとする悪徳商人も姿を消す。広がる格差社会にニューフロンティアは無い、もう一度第一次産業革命の時点まで文明を戻して行く産業革命が必要ではないだろうか。化石資源 を使わない革命である。エネルギーは自然界との共生の中で生産する。私の信念は「桐で世界の住宅を造り、森から電気を創る」である。桐は天然の断熱材であり化石資源を用いずして爽快な生活を提供してくれる。森林の木材には1m³で重油1バーレル分のエネルギーが潜んでいる。炭は石炭より20%も高いエネルギーを供給してくれる。炭で発電すれば石炭、石油は不要になる。下水道汚泥も生ごみも全て炭にし発電すれば美しく循環する。砂漠化の進む地域は空気の中から水を取り、早生樹桐を育てる事により森林が復活する。こんな形の産業革命を世界の人々と語り合いたい。巨大な山々の前に立つと人類が昆虫の如く小さく見えて来る。昆虫なら大量生産は要らない。原発を止め豊かな大地から食料を生産し、森から電気を創りAIに支配されない全人口参加型の産業を人類の手に取り戻す、食べ尽したフロンティアを再び耕せばよい。今こそ我国の政府は徳川八代将軍吉宗に学ぶ時代が来ている。彼は日本を豊かにするため
○大奥の美女50人を家に戻し嫁に行かせ財政を切り詰めた。
○既得権を持つ商人をすべて排除し利益を広く公平に分配させ生産性を上げた。
○武士に刀を捨てさせ全国に新田の開発に当たらせた。
○自ら木綿の着物を着、幕府内の経費を最少にし、百姓達からの税を軽減し財政を豊かにした。
吉宗の勇気ある政治は以前のエッセイにも書いたが、国の借金が1000兆円を超えても今もって永田町、霞ヶ関の身を切る改革をしようとせず、税を上げる事だけに知恵を絞る、政府国会議員諸兄も年に一度位は巨大な山の前に立ち神聖な風を浴び、豊かな発想への敬虔なパワーを受け取ったらいかがだろうか 神聖な山々には柵は無く、豊かな知恵と勇気が無ければ登頂は許さない
2018年1月24日 黒岩陽一郎
アサマdeドットコムの管理をしています坂口です。
昨年リニューアルオープンする予定がなんと一年の月日が流れてしまいました。
何故そのようなことになったのか・・・・
理由を上げたらキリがないと言うか全部言い訳になってしまいそうですが、今社会そのものの構造が大きく変わろうとしてる気がしてなりません。
インターネットももちろうその中の大きな役目を持っていることは否定できないと思います。
そんな中、ITベンチャーが沢山登場し消えていく中、成功した企業もあります。その境となったのは何か?そこがけっこう大切だなと思うんですが、まずこれだけは言えること、それは続けること。
そう、続けていなかったら成功とか失敗とかそれ以前の話ですからね。基本中の基本。
そう言うことなんです。
そして、本当に大切なことは人真似をしない。
最初はもちろん人真似でもどこかで自分の個性を出さないといけないですよね。
ここが運命の分かれ道なのだと思います。
このサイトもそう運命の分かれ道にさしかかった?(笑)
いえいえ、笑い事ではありません。
今回のリニューアルをきっかけに独自の路線を作っていけたたと思っています。
自然でナチュラルな美容院を目指して
御代田町で美容院を経営されている池田さんは、美しさを追求する美容師として、ある疑問をいつも持って仕事をしていました。それが、ある時「ヘナ」と出会ったことから一気に世界が開けたと言います。
そのわけとは?
なぜ今「ヘナ」なのか?
自然派美容院を目指す池田さんを取材しました。
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インタビュー:池田桂子さん
インタビュアー:坂口ユッコ
=それではまず、池田さんがケミカル(化学物質・化学薬品などを含む)なものではなく、自然でナチュラルな美容院にしていこうと思われたきっかけは?
元々、随分前からお客様の髪の毛を染めて、パーマをかけて、ってやってきたんですけど、痛むじゃないですか。手触りがやっぱり悪いんですよ。トリートメントしたいってお客様は痛んでいるのを感じてトリートメントに来られますよね。
で、トリートメントしました。その時はいいです。でも二週間後、一ヶ月後、またひどい髪の毛の状態で来られるよ。それを見ていて、何か違うなと思ったんですよね。パーマやカラーで髪を痛ませておいて、トリートメントするのって何か変かなって。そこから次第にパーマをやりたいってお客様が来られると、極力はね、やらない方向に。「痛みますよ」と。だんだんそういう機会が多くなっていって、本当に必要な人だけ、特に年配の方で、トップの部分にボリュームが欲しいという方にはパーマをあてたりはしていたんですけど、一ヶ月もすれば根本はどうしてもペタンてなってしまうんですよね。
そうやって髪が痛んでいくのを見ていた時に、何かもっと違う方法は無いかな、という風に考えていて。実際自分も、若い頃から白髪が多かったから白髪染めをしていたんですけど、髪の毛もバサバサで。そのままお客様の前に出て…「何かこれって…」って思う時もあったし。自分自身も変えたくて、それで探していたと時にヘナに出会っちゃったんですよね。
で、ヘナはまず髪質を良くする。根元の立ち上がりが出てボリュームがアップする。
という風に聞いてそれはちょっといいかなと思ったんです。
でも昔ヘナを使っている美容室はたくさんあったんですよ。十数年、二十年ぐらい前にやってた時期もあったんです。でも、結局そのヘナにケミカルな薬品が入っていたんですね。ヘナって、やると分かるけど時間がかかるじゃないですか。一時間とかね。それをもっと短縮させるために、パッと色が入ってお帰りいただけるといったものをおそらく美容師さんがリクエストしたんでしょうね。それでヘナを作っている人たちが、じゃあそこにケミカルなものを少し入れるとか、そういう風になっていって。そのケミカルが原因で「ヘナをやるとかぶれちゃった」とか、そういうことが多くなって理美容界からヘナが消えていってしまったんです。
=聞いたことある気がする。
そういう過去があったから、ヘナは最初抵抗があったんですよ、「どうせ痛むでしょ」と。そしたら「え、痛まないよ?」と言われて。アーユルヴェーダ(インドの伝統医学の一つ)の先生だったんですけど、先生の頭がすごくツヤがあって色も綺麗に入っていてとても素敵だったんですよね。それで「先生それヘナですか?」て聞いたら「そうよ」という所から「ちょっとそれ見せて下さい」て見せてもらって、そこからです。
=後には引かない、という(笑)。
(笑)。でも、いいものだから。自信持って勧められるっていうのがいい所ですよね。知り合えて良かったと思います。
- 店 名:beautysalon nap
- 住 所:北佐久郡御代田町御代田1652
- 電 話:0267-32-1122 (完全予約制)
- 定休日:月曜日 第1火曜日 第3日曜日
- 営業時間:9:30〜18:00
- フェイスブック:Beautysalon nap
正しく使うためのヘナのワークショップもやってます。詳しくはFBで!「アサマdeドットコムの記事を見ました」とごお会計時に言っていただいたお客様は『500円引き』致します。
ひと手間かけた心のこもったお料理は太陽のように分け隔てなく体と心を満たしてくれます。感謝は「するもの」ではなく「あふれ出てくるもの」です。「ごちそうさま」の後に外の世界へと放たれていくあふれ出る感謝を、ひとりひとりが出来る日常レベルの祈りとして、平和への祈りとして意識していきましょう。
6月の初め、向かった先は小諸市にある正眼院。
先月咲いていた椿の花は色褪せていましたが、春の清々しい日差しの中に微笑みそびえたつお釈迦様はいつの時も変わらない穏やかさをで出迎えて下さいました。
正眼院で月に一度開かれる「おそうじの会」では、宗教の枠に関係なく老若男女ざまざまな方が集まりお寺の作務と座禅を体験します。
自分の心を素直に見つめる機会として開かれているおそうじの会は、私が実践している玄米菜食がどのような形であれ、活かされる場であると感じています。
本日の作務は草取り。
春の爽やかな日差しと言いましても外での作務は汗が出るほどですから、どうしても生野菜が欲しくなります。
この時期の生野菜、決していけないわけではありませんがプレスサラダにするのがオススメです。
ホームセンターで見かける簡易漬物器といった感じのもので、塩をまぶした野菜にネジ式の圧(重石)をかけて余分な水分を出します。即席の漬物といったところですが、水分による体の冷えを防ぎます。
穀物や野菜を、冬に命をつなぐ糧として保存する調理法は塩や重石を使う漬物の他にも干したり発酵させたり、火を使ったりと、変化を常とするこの世界において祖先たちから伝わった保存法です。保存料や着色料といった添加物は流通のためのものであって、祖先たちが伝えた保存法は命をつなぐための知恵です。
発酵も進めば腐るように時間と共に変化していくものを食い止めることはできませんからさらなる知恵で再利用するという、そこには生き延びていくたくましさが感じられます。
この会では時折、参加者から子どもの頃に食べたおやつなどの話を聞くことがあるのですが、郷土に残る食文化には興味深いものがまだまだあるのです。
今回、お寺の奥さまが作って下さったコゴミとワラビの味噌漬け。
ここで一句。
「山菜と一期一会の有り難さ」
菜食において、旬の山菜が並ぶ至福は例えようがありません。
ご馳走とは本来「走り回ること」
奔走して採って下さった山菜はまさしくご馳走。
どなたさまかはわかりませんが、山の幸をありがとうございます。
いただくこの日まで保存して下さった心のこもった味噌漬けが、まるで太陽のように参加者全員を分け隔てなく満たしていきます。
あふれ出る感謝に手を合わせ「いただきます」と唱え「ごちそうさま」で終わっていたはずが、心のこもった食事は体の中を巡りふたたび外の世界へと放たれていく自然な循環が起こるのです。
私たち人間の役割とは、形あるものが朽ちていく肉体だけの存在でないのは言わずもがな、このさき意識していくことは「無限の世界へ放つ光の意識として存在してゆくこと」ではないかと思うのです。
ひとりひとりが出来る日常レベルの祈りとして、平和への祈りとして意識して放っていきましょう。
おそうじの会「春から夏の食事」
- 玄米ご飯・ごま塩
- 味噌汁(新玉ねぎ、春キャベツ、わかめ、車麩)薬味としてコゴミと三つ葉
- こうや豆腐の野菜葛あん
- 切り干し大根の煮物(糸蒟蒻、干し椎茸、えのき茸)
- 蒟蒻と山菜の味噌漬け
- 菜の花とひじきの白和え、山うど添え
- プレスサラダ(ラディッシュ、春キャベツ、カブ、水菜)、沢庵
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