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アサマde ブログ - 最新エントリー

海野宿(うんのじゅく)【前編】

カテゴリ : 
きままに 宿場 歩き。
執筆 : 
 2015/10/18 8:04

 今回は北国街道の「海野宿」へ行ってみましょう。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道で、佐渡で採れた金の輸送や北陸諸大名の参勤交代に使われた道です。

海野宿は、寛永2年(1625年)に北国街道の宿駅として開設されました。その後、寛保2年(1742年)の大洪水によって隣りの田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいをみせたそうです。明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。その結果、江戸時代の旅籠屋造りと、明治以降の堅牢な蚕室造りの建物とが調和した町並みができました。道の中央に用水が流れる美しい町並みは「重要伝統的建造物群保存地区」の指定を受けており、「宿場町の保存状態は日本一」と太鼓判を押す研究者もいるほどだそうです。
 
 
「海野宿駐車場」に車を停めて散策スタートです。この駐車場、以前は有料だったような……と思って東御市のホームページを調べたところ、2015年4月1日から無料となったようです。気軽に利用できていいですね。
 
▲駐車場から道を渡ると千曲川が見えます
 
駐車場の隣に「海野氏発祥之郷」の碑があります。海野氏は東信濃を代表する名族で、あの真田氏のルーツともいわれています。海野宿がある海野郷は、平安から鎌倉時代まで海野氏の本領でした。真田昌幸が上田城を築城する際、先祖の地である海野郷の民を呼び寄せて城下の門前に「海野町」を築いたそうです。そのため、海野宿がある地は「本海野(もとうんの)」と呼ばれるようになりました。
 
 
▲この碑は「海野史研究会」が建てたもの
 
海野宿の入口にある「白鳥神社」は、海野氏の祖として伝わる貞元親王などが祀られています。古くから海野宿の産土神として地域の人々の信仰を集め、今でも毎年4月の例祭には街道に大のぼりが立ち並ぶなど、昔ながらの風習が受け継がれているそうです。
 
▲御神木のけやきの木は樹齢700年以上! 「鯨石の噴水」の脇にある巨木も見事です
 
白鳥神社を出て街道に入ると、見事な街並みが目に飛び込んできます。まるでタイムスリップしたかのようでちょっぴり興奮します。少し行くと「媒地蔵尊」があります。案内板に、由来が書かれていました。加賀のお殿様が参勤交代の道中にお参りしたところ、良縁に恵まれなかったお姫様が結婚できたという言い伝えがあるそうです。
 
▲「縁結び地蔵」とも呼ばれて親しまれています
 
少し進んでみましょう。道の両脇にお蕎麦屋さんがあり、お昼時ということもあって賑わっています。そこを抜けると、「海野宿資料館」があります。江戸時代に建てられた旅籠がまるごと使われています。江戸時代の旅籠屋造りと、明治以降の養蚕農家の建物が融合した海野宿ならではの造りで、館内には、海野の歴史に関する資料や、実際に使われていた生活道具が展示されています。入館料200円。近くにある「なつかしの玩具展示館」との共通券もあります。
 
▲二階は出桁造りになっています
 
資料館の裏庭には、風呂場・味噌小屋・白壁の土蔵・地下の桑屋・養蚕関係の展示室などがあり、意外と広いことに驚きました。裏庭の建物まで見て回れる資料館は数少ないと思います。個人的にはお風呂の造りが好きでした。
 
▲裏庭の様子。敷地内に市神さまや姫宮も移されて祀られています
 
▲養蚕・養種・機織り・製糸と展示室がわかれていて、実際に使われていた道具と共に、それぞれの工程が細かく紹介されています
 
予想以上に見応えがある資料館でゆっくり見学………というところで、今回の散策はここまで。次回は資料館を出たところから散策をはじめます。
 
 

 

前回に続き、「茂田井間の宿」です。およそ1.7?ある宿場のちょうど中間あたりに、案内板があります。近くには公衆トイレやベンチもあるので一休みできるのが嬉しいです。今回はここから次の「芦田宿」方面に歩いていきましょう。

▲トイレは、「雪隠」と表記されていました。趣がありますね。

 

ほどなくすると、右手に重厚な建物が見えます。個人のお宅なので、あまりジロジロ見るのは悪いなぁと思いつつ……素敵で目が離せませんでした。このお宅のはす向かいに細い小路が伸びています。「小平道」という小路のようです。角に「茂田井学校跡」の案内板が出ているので、そちらへ行ってみましょう。

▲迫力に魅了された民家

 

「小平道」を進むと、右手に「茂田井学校跡」があります。現在は公民館として使われていて、校庭だったところが駐車場になっています。散策の際は、こちらに駐車しましょう。

▲「茂田井学校跡」も映画に出てきそうな可愛らしい佇まい

 

校庭(駐車場)で周りを見渡すと、1段高くなったところに芝生の公園のような場所が見えます。行ってみると、神社の境内でした。「諏訪神社」の創建年は不明。現在の社殿は文化15年(1818年)茂田井の宮大工さんによって再建されたそうです。境内には、茂田井村の各地に合った道祖神を集めて祀ってあります。

▲境内には遊具が置かれ、地域の人たちの公園としても利用されている

 

諏訪神社の鳥居を出て、広い道を右に折れます。酒屋さんの角を左に曲がると、突き当りに「無量寺」があります。入口には、仏教の六道にちなんで人々を救済する「六地蔵」さんがいらっしゃいます。古くから地域の信仰を集めていたそうです。また、「無量寺」の鐘楼は文化財に指定されています。毎日夕方に、この鐘の音が茂田井の村に響くそうです。

▲お地蔵さんの上に鐘楼がみえる

 

▲「無量寺」を背に、寺小路を街道へと戻ります。街道に出ると馬頭観音がある

 

「馬頭観音」を過ぎると徐々に登り坂になってきます。そして現れる急な登り坂! 「石割坂」です。「こんなに急で旅人は大丈夫だったの?」とちょっと心配になってしまう角度です。解説板によると、「勾配がきつく大きな石があり交通に不便だったが、その石を割り中山道を開通させたので石割坂と呼ばれている」そうです。

▲特に急な部分は滑り止め加工されています。その区間130歩でした。

▲「石割坂」の途中には「上組高札場」があり、登りきると一里塚があります。

 

少し進むと出口(芦田から来たら入口)です。こちらにも案内板とパンフレットが置かれています。こちらから歩くと全体的に下り坂になるので、この方が散策に向いているかもしれません。

 

玄米ご飯

カテゴリ : 
御飯いただきます。
執筆 : 
 2015/10/5 6:40

 

世界中にある食文化はその土地の気候や風土といった自然と関わり合いながら受け継がれてきたものです。
熱帯地域ではスパイスを使った食文化が発達しベジタリアンが多く、寒冷地では動物性食品を加工し保存する食文化があります。
どの国の食文化も先人たちの知恵がつまった素晴らしいものです。
現代は流通が盛んになったことで私たちは世界中の料理をいとも簡単に食べられるようになりました。
自然と共に受け継がれてきたものを、私たちは全く環境の違う土地で暮らしていながら食べ続けています。

栄養はたっぷりなのに、季節が変わると風邪をひいてるのはどうしてでしょう。
いつもイライラしているのはなんででしょう。
お腹はいっぱいなのに心が満ち足りないのはなぜ?

ドイツからやってきた栄養学はさておき、食物を「いのち」として見ると、その食べ物の形や色、大きさまでが自然界の法則に従って成長していることがわかります。
「いのち」を「拡散(陰)」と「収縮(陽)」という2つの性質で見分けていくと、偏りのない「中庸」という在り方があることを、私たちは知ることができます。
日々、拡散と収縮を繰り返しながら変化する環境に、体も心も柔軟に合わせていくためには「中庸」の座、すなわち坐禅であり、神道では中道、その座がしなやかでいちばん強いということを先人たちは知っていました。
それは新しいものの見方などではなく、世界中の伝統的な食文化の礎となっているのです。

日本食は主食と副菜に分かれています。
主食は米です。
「いのち」として米を見ると、玄米は水に浸せば芽を出す生きている米です。
部分を削った白米は芽を出しません。

ただひとつ、「いのち」が宿る主食をいただきたいがゆえに、玄米を食べる。
玄米を食べることを目的とせず、「いのち」をいただいて自分の「いのち」を輝かせることを目的として、世界にたったひとりの自分として生まれてきた自分を生ききるために、粒まるごとの「いのち」をいただく。

副菜は季節の野菜を使い、切り方や調理法で変化をつけます。
桜の花が添えてあるので春の食事です。
切り干し大根の煮物、炒り豆腐、青菜のお浸し、味噌汁、漬物。

 【茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)】「古い町並みが残っていてきれいなところだよ」と薦められた茂田井宿。さっそく行ってみようといろいろ調べたところ、「茂田井宿」というより「茂田井間の宿」というのが正式なようですね。というのも、茂田井は「中山道69次」の中に入っていない「間の宿(あいのしゅく)」。宿場間の距離が長い場合や、峠越えなどの難所がある場合に、宿場と宿場の間に興った休憩用の町なんですって。確かに難所の前では休憩したいですもんね。長野県内では、茂田井のほかに桜沢(塩尻市)や大妻籠(南木曽町)も「間の宿」にあたるようです。「茂田井間の宿」は、望月宿と芦田宿の間にあり、2つの宿場に泊まりきれない時、代わりに宿としての役割を担っていたそうです。

望月宿から芦田宿方面を目指します。普段この辺りに来ても国道142号しか通らないので、中山道がどこを通っているのかよくわかっていなかった私ですが、国道沿いに「望月宿西入口」という親切な名前の信号を発見。左折すると中山道望月宿の西端に出ます。そのまま中山道を進みます。

▲「観音寺入口」バス停の先に「茂田井」への入口を示す看板があります

少し行くと池の先に右側へ下る坂が現れます。ここが「茂田井間の宿」入口です。いわれが書かれた看板が立ち、案内図が入った箱があります。茂田井には街道資料館や案内所がありません。ここでパンフレットを入手しておきましょう。この先は、車のすれ違いが困難な箇所もあります。次回紹介予定の駐車場をご利用ください。

▲「茂田井間の宿」へは右の細道を下ります

入口から3分ほど坂を下りきった右手に、雨乞いの神様が祀られる「神明社」があります。ここを過ぎると道の両脇に昔ながらの建物や水路が現れ、ぐっと趣がでてきます。白壁が続く見事なお屋敷もあります。武重本家酒造です。江戸時代後期の住宅と酒造施設30棟が国の登録有形文化財に指定されており、一度に30点もの物件が登録されるのは全国的にも少ないそうです。こちらの酒蔵では、文化財の建物の中で造っているんですね。映画『たそがれ清兵衛』のオープンセットが組まれたそうです。

▲武重本家酒造の向かいには、
この地をたびたび訪れていたという若山牧水の歌碑があります

▲ここから少し登り坂になります。白壁が続く様子と水路と坂がとても美しいです。
天気も良かったので、画板を持ってこの風景を描いている人も居ました

ゆるやかな坂を登りきると、右手に大澤酒造があります。こちらもまた素晴らしい建物です。元禄2年創業で300年以上続く老舗の蔵元。創業時の酒が白磁古伊万里の徳利に入れられて保存されており、日本最古の酒とされているそうです。敷地内には酒造用の建物を利用した「しなの山林美術館」と「民俗資料館」があります。歴史ある名家ならではの資料がみられます。

▲大澤酒造の門内

大澤家の塀のはずれに「茂田井村下組高札場跡」の表示があります。大澤家は元文2年(1737年)から明治4年(1872年)まで茂田井村の名主を務めた家柄だったそうです。

▲高札場跡の立札。歩いてみたい小路がたくさんあります

さらに少し進むと、現在地を示す案内板があります。どうやらこの辺りで半分くらいのようです.........というところで、今回の散策はここまで。次回はここから散策をはじめます。

 

 

 

追分宿【後編】

カテゴリ : 
きままに 宿場 歩き。
執筆 : 
 2015/9/29 7:16

前回に引き続き皆さんと散策するのは軽井沢町の追分宿です。

▲油屋入口はこの看板が目印

「堀辰雄文学記念館」のほど近く、ギャラリーの看板に惹かれて小路に入ると脇本陣「油屋」の建物が残されていました。昭和13年に現在の場所に移築されてからは旅館として使われ、多くの文士・知識人たちが好んで執筆に利用し、多くの作品の舞台となったそうです。2012年からは、ギャラリーと素泊まりの宿として活用されているようです。1階は古美術・絵画・クラフト・古本・レコードなど各スペースに仕切られ、回廊をイメージした入り組んだ造りになっています。建物の中を探検して、自分の好きな作品を探すといった楽しみがあります。猫に関する作品のギャラリーを発見し、猫好きな自分はワクワク! つい財布のひもが緩んでしまいました。

国道18号線と合流して少し進むと「分去れの碑」があります。江戸から来ると、右は北国街道、左は京都・吉野へむかう分岐点となりました。旅の途中で親しくなった旅人同士が、別の行く先を前に別れを惜しんだというのがその名の由来だそうです。

▲石碑には「さらしなは右 みよし野ハ左にて 月と花とを 追分の宿」と刻まれている

「油屋」の中には古本屋さんやブックカフェがあり、お隣にもおしゃれな古本屋さんがありました。また、本を自由に借りたり、寄贈・交換ができる「夢のはこ」なるものも宿場内に2か所発見! 追分宿は文学の香り漂う宿場町なのでした。

古い町並みが連なっているというわけではありませんが、ところどころに残された古い建物がカフェや雑貨店などに活用されていて面白いです。宿場の雰囲気に合った、パン屋さんお蕎麦屋さんなどもあります。

▲「夢のはこ」 ※別日に撮影

距離にすれば短い宿場ですが、飲食店にも立ち寄らずに、気が付けば2時間半も散策していました。資料館・ギャラリー・古書店といった、インドアでゆっくりできる施設が充実しているので、晴れた日はもちろん雨の日でものんびり過ごせる宿場町です。

▲おまけ

「分去れの碑」のほど近くにある「シャーロックホームズ像」。写真のどこに写っているかわかりますか?

追分宿【前編】

カテゴリ : 
きままに 宿場 歩き。
執筆 : 
 2015/9/1 16:28

初めての街道歩き―――。どこを訪れようか迷った結果、第1回目として選んだのは軽井沢町の追分宿。歴史は詳しくない自分ですが、追分宿が中山道と北国街道の分岐点にあったということは知っていたので、旅のスタートとしてふさわしい場所だと思ったのです。草津温泉に通じる草津街道にも近いため、官道東山道のころから交通の要所とされてきた追分宿。宿場町として栄えた往時は、旅籠屋71軒、茶屋18軒、商店28軒が立ち並んでいたそうです。


▲信濃追分駅 ※写真は別日に撮影

軽井沢から国道18号線を上田方面に進むと、国道の両側に「追分一里塚」があります。その先の脇道を右側に入ると追分宿です。電車なら、しなの鉄道信濃追分駅から徒歩20分。車の方が便利ですが、レトロでこぢんまりとした信濃追分の駅舎も個人的にはお気に入り。ぜひ見ていただきたいポイントです。

追分宿に入ってまず立ち寄ったのは「軽井沢町追分宿郷土館」。「追分節」が流れる館内では、縄文時代から現代までの追分地区ゆかりの資料が並び、その歴史をたどることができます。初めて訪れる場合は、栄えていたころの宿場の様子などをここで予習してから散策することをおすすめします。※入場料大人400円

「軽井沢町追分宿郷土館」の隣りには「浅間神社」があります。天気はあいにくの雨模様。ここで本日の散策が素敵なものとなるよう祈願しました。雨露をたたえたモミジの葉がいっそう緑を深くして、なんともいえない美しさがありました。


▲「追分節発祥の地碑」の奥に見えるのが「浅間神社」

「浅間神社」を出ると少し町並みが途切れます。小さな橋を渡ってほどなくすると左手に見えてくるのが「堀辰雄文学記念館」です。ここは作家・堀辰雄が居を構えていた場所で、本陣跡地でもあります。堀辰雄は、古い宿場の面影を残す静かな追分に惹かれて数多くの作品を執筆し、この地でその生涯を閉じたそうです。入場券は「軽井沢町追分宿郷土館」と共通になっているので、こちらも訪れてみてください。


▲堀辰雄文学記念館入口の門は、本陣の裏門にあたる
 

「堀辰雄文学記念館」を出て少し行くと、右手にギャラリーの看板が。ちょっと立ち寄ってみよう………というところで、今回の散策はここまで。次回はこのギャラリーから散策をはじめます。

 

いなご豆のさやの内側の部分を乾燥して粉になったものがキャロブです。

カフェインもないし、食物繊維が多くて栄養満点。

チョコレート菓子の代用品として、子育て中にお世話になったキャロブパウダーですが、子供たちは普通にチョコレートを食べるようになって、今では私がお世話になってます。

うちではおふくろの味ですね。

粉類も雑穀同様に夏前には使い切ってしまいたいので、

キャロブでブラウニー。

たくさん焼いて冷凍しておきます。

キャロブはほのかに甘いので、ココアを使うよりも甘みは少なくていいのでカロリーオフ。豆乳カッテージチーズと合わせるのが我が家流。

シンプルな味わいですから、ぜひ我が家流のレシピで楽しんでくださいね!
 

雑穀を使おう!

カテゴリ : 
御飯いただきます。
執筆 : 
 2015/5/5 20:22

 

ゴールデンウィーク中の暑さに、冬の間お世話になった雑穀を炊き尽くしました。

雑穀は精白したパスタやパンを食べる時、微量栄養素を補ってくれるので重宝します。

 

アマランサス、ビーガンには明太子(笑)

さっと洗って炊くと、鉄分の匂いかな、独特の匂いがします。

今回は出汁で炊いて小分けして冷凍。

全粒でない精白したパスタの時にソースとして絡ませたりします。

青菜と炒めても美味しい。

 

ヒエはポテトサラダになります。

抹茶とメープルで羊羹にしても美味しいです。

モチ粟は、もちもちしてチーズみたいです。

白パンの上にのせてオーブンで焼いて、オリーブオイルと黒胡椒ぱらり。

たかきびはコクがあるので、麻婆豆腐にしたりハンバーグにしたり。

たかきび以外はすべてお鍋で簡単にすぐ炊けます。

ヒエや粟、黍はとにかくよく洗うことです。

 

目の細かいザルがない場合にはザルに布を敷けば大丈夫です。

 

 

 軽井沢の知る人ぞ知るカフェギャラリー「ごんざ」です。

オーナーの吉田由実子さんは底抜けに明るく音楽が大好きな方です。

軽井沢を愛する人が訪れたなら、少なからず「ごんざ」の雰囲気に惹かれます。

私もそのひとり。

地下ギャラリーではコンサートや個展が季節を問わず催されています。

夏の軽井沢は避暑地として最高ですが、長野に暮らす私は冬の軽井沢も素敵なのを知っています。

ギャラリーにはアップライトピアノがあるので音楽イベントも多いです。

イベントの後、お願いすればご来場のお客さまと一緒に打ち上げも兼ねた食事会ができます。

余韻を楽しむ出演者とお客さまの一期一会の機会、実はとっても大切な時間。

 

ちなみに、先日のコンサート後のアフタークリスマスでは巻き寿司があって、ボリューム的にも満足。

冬の軽井沢の寒さにも対応した薪ストーブは性能がよくてすごく暖かい!

パチパチという音が心地よくて、芯から体が温まります。

クリスマスを演出して彩りも華やかです。

ブルスケッタは美味しかった♪

普段はカフェでランチが楽しめますし、コーヒーや紅茶も丁寧で美味しいです。

 

写真は先日のコンサートでご挨拶をする吉田由実子さん♪

ステキな女性でしょ??

 

11.11

カテゴリ : 
執筆 : 
 2014/11/11 12:22

 2011.11.11のフィーバーほどではないですが、やっぱり今日という日は気になります。

自分の身に起きていることを探ってみても、11.11はすごいなぁと感じます。

 

8日の秋のフォークライブも楽しく終えました♪

一番リハを目指して早めに家を出たおかげで、時間まで本を読んだりしながら秋の軽井沢を満喫。

今年は霜が降りたせいか、紅葉前に葉が落ちてしまっていると聞きますが、

私の見る限り、山の紅葉はきれいです。

 

カフェでのんびりという時間は好きですが、何を飲むか、なんです。

偏頭痛のある私、カフェインと偏頭痛の関係に加えて、天候と偏頭痛の関係もあなどれません。

偏頭痛の原因は本当のところよくわかっていないらしいのですが、

控えたほうがよいものに、コーヒー、ワイン、チョコレートがあります。

 

どうしても飲みたい時には丸山珈琲のディカフェは美味しくておすすめ。

99.9%という高水準でカフェインを抜いてあるのに加えて、その加工法も安全です。

女性の味方の豆乳と合わせて豆乳ラテにしたりします。

 

豆乳は常備しているので、THERMOS 真空断熱フードコンテナー を使って豆腐も簡単に作れます。

豆乳150〜180mlを温めてサーモスに入れたら、にがりを小さじ1〜1.5加えて優しく混ぜて蓋をします。

2時間後出来上がりです。

ふるふるのお豆腐を冷やしてレモンとメープルシロップでレアチーズ風に、お醤油で湯豆腐にも。

豆乳常備なら、おからも常備。

パウダー状のものを料理に使います。

 

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